スピリチュアル

輪廻転生の仕組みを「驚きの実話」でご紹介

命あるものが限りなく生まれ変わり(転生)を繰り返すことを、輪廻転生と言います。

絵本やアニメ、映画、ドラマなど、世の中には転生を題材としたお話が多々ありますが、今回は「私の身近な生まれ変わりのお話」をしたいと思います。

妹の人生

私は、4人姉弟の次女として生まれました。

4人の中でも「私と妹は容姿が似ている」と言われています。そして性格も、タイプは異なりますがHS(ハイリーセンシティブ)という共通の気質を持って生まれました。

HSCという気質

私の妹はHSC(ハイリーセンシティブ・チャイルド=ひといちばい敏感な子)の中でも感情が激しく、感情を外に向ける「育てにくい子」と言われるタイプです。

家族の中でも常に嵐を巻き起こしているようなとてもパワフルな存在で、4人姉弟の末っ子ですが、3対1のケンカになっても全く引かない負けん気の強い子でした。

よく思い出されるのは、私が小学生、妹が就学前の頃、家族で何処かに出かけようとする度に妹が機嫌を悪くし、出かける直前で「行かない!」と言い張っている姿です。

困った父や母が一生懸命説得するも効果はなく、癇癪が激しくなる一方…… その間ずっと待たされている姉弟にもイライラムードが立ち込めます。

その様子を見ながら私は「今 ”行こう” と言っても逆効果だし、機嫌が悪いことに触れてもいけないのに、なぜ父や母はそれを言ってしまうんだろう?」と不思議に思っていました。

最終的に私が妹の側に行き、妹の機嫌を直していました。

まずは、出かけることや妹が機嫌を悪くした原因には一切触れず、妹の気持ちを他のことに向けます。

単純にその時目に映るものの話をし、徐々にふざけてみたり、妹が楽しい気持ちになるように話を移して行きます。

そうすると少しずつ笑顔が戻るので、そこでやっと「お姉ちゃんと一緒に行く?」と誘うと「うん」と一緒に付いてきてくれます。

子供の機嫌を直すには、この方法がよく効きます。

母への執着


妹は、幼い頃から母親にべったりとくっついていました。

HSCはひといちばい敏感なため不安を感じやすく、ひといちばい甘えん坊さんな子も多いようです。

ですが、当時の子育て方針は「抱き癖がつくから抱かない」や「皆と同じでなければならない」というようなもの。

現在の個性重視の多様化社会とは異なり、不安を感じやすい子に充分な愛情を感じられるような子育ては、推奨されていませんでした。
 
妹は母親に対しての確かめ行動(わざと無理難題を要求して愛情を確かめる)が多かったように思います。

そして「自分のことを理解していない」「自分の求めた反応が返ってこない」という状況になると、母親に罵声を浴びせて攻撃していました。

この行動は妹が大人になってもずっと続き、家族が抱えていた悩みでもありました。

自己肯定感の低さ

妹は周囲から見れば羨ましがられるような容姿や才能を持っていました。

色の白い肌、大きな目、小さい顏、小柄だけれど手足が長くスタイルも良く、運動も勉強も人並以上には出来る。ハッキリと自分の意思を表現し、明るく、外交的。

それが周囲の女子達の反感をかったのか小学校の頃はいじめに合い、一時期、登校を拒否していたそうです。

客観的には何の不足もないように見えた妹ですが、本人はなかなか現状に満足できず、より多くを求めていたように思います。

妹は、高校を卒業すると歌手を志願し音楽大学に入学しました。周囲には裕福な家庭のお嬢様が多く、妹もブランド品や高価な物を購入するために夜のバイトを増やしていました。

女性が自分を飾ることは良いことですが、妹の場合は自己肯定感の低さを埋め合わせるための「代替え行為」の意味合いが大きかったと思います。

やがて妹は精神的に不安定になり、実家に戻ることとなりました。

妹の不安定さは「境界型人格障害」の症状を伴っており、とても周囲の話に耳を傾けられるような状態ではありませんでした。

なので私は、妹がもう少し落ち着いたら、自己肯定感を高める必要がることや、気持ちが楽になる考え方えを教えたいと思っていました。

僅か24年の人生


妹は、わずか24歳の若さで他界しました。

睡眠中に嘔吐し、その吐しゃ物が喉に詰まり呼吸が出来なくなってしまったのです。睡眠薬を多めに服用して寝ていたため、息が出来ない状態でも目が覚めることが無かったのだそうです。

この時の両親の様子は今でも忘れられません。

私は16歳から25歳あたりまで人生に悩み、生き辛さを感じていましたが、妹の死によって初めて「親より先に死んではいけない」と本気で思ったのです。

結局、私が妹に伝えたかった事は伝えられないまま、私が妹から命の大切さを教わりました。

ありのままの自分、ありのままの母親を認めることが出来たなら、妹はもっと楽に幸せに生きることが出来ただろう…。

今でもそう思っています。

私の妊娠

 
妹が他界してから約10年が経ち、結婚をして子供を望んでいた私の元に、娘が来てくれました。

一時期は子供を授かることを諦めてもいたのですが、どうしても諦めきれずに検査をしたり、妊娠するための環境を整えてやっと授かった大切な命です。

HSCの娘

娘も生まれながらのHSC(ハイリーセンシティブ・チャイルド=ひといちばい敏感な子)です。そして妹と同じく、HSCの中でも感情表現が激しく育てにくいタイプです。

娘は不安が強く、赤ちゃんの頃からなかなか私の側を離れませんでした。自分の間違いを決して認めないので「自己肯定感が低い」ということも直ぐに分かりました。

娘を見ていると、よく妹の姿を思い出します。

出かける直前に「やっぱり行かない」とダダをこねるので、私は妹の時と同じ手を使います。(娘に対しては怒る時も多いのですが…)娘の反応も妹そっくりです。

娘は、私の事もおばあちゃん(私の母)の事も、家族皆の関心を自分一人に向けたがります。でも、一人っ子なので姉弟と比べられることもなく、望むように全部ひとり占めです。

とても手の掛かる子なのですが、皆に手を掛けて貰いながら、すくすくと育っています。

そんな娘に対しては、少しずつ自己肯定感が持てるよう「スモールステップ」を設定し、娘のペースで育てています。

母の成長

フルタイムで働いている私の子育てには、母のサポートが欠かせません。「母と共同で娘を育てている」と言っても過言では無いほどです。

母を見ていると ”私たち姉弟を育てていた頃には無かった行動” がたくさんあります。私の娘に対しては「かわいい」「大好き」と抱きしめたり、キスをしたりするのです。

私は、幼い頃に母親にキスや抱っこをして貰った記憶がありません。母は農家の大家族に嫁いだため、いつも忙しそうでした。

また精神的にも幼なかったようで、母自信も当時を振り返り「あまり自分の子供を可愛いと思わなかった」と話しています。

確かに子供に対してはとてもサッパリとした母親でした。

母は、妹の死を乗り越えて様々な面で大きく成長したように思います。娘に対してできなかったことを今、孫に対して実施しています。

正面から叱るだけではなく、孫の反応をみつつ、性格に合わせた対応もとっています。

何よりも、孫への愛情をしっかり孫へと伝えています。

明治を生きた私達


時代は変わり、幕末から明治初期の頃……
私は田舎の貧しい農村に生まれ、そしてまだ10歳にも満たないうちに売春宿へと売られました。廓(くるわ)や遊郭(ゆうかく)と呼ばれる隔離された世界です。

家族愛のない人生


一人、遠い地へ売られた私ですが「寂しい」や「家に帰りたい」という気持ちは無く「家に戻ったってどうせ(される事は一緒だ)… 」という人生への諦めの感情しかありませんでした。

思い出されるのは、暗い部屋でろくに働きもせずにお酒を飲んでは文句を言う父と、父に文句を言われながら働かされ、そのうっぷんを私を弄ぶことで解消する兄達の存在です。

きっと母親は早くに亡くなり、ろくでなしの父と私を虐待する兄達の間で家事をしながら育ったのだと思います。

家から外に出ることもなく、一人の友達もいなかった私は「愛」というものを知らずに育ちました。

そんな私には、遊郭での暮らしはさほど苦ではありませんでした。やわらかい布団や綺麗な衣類があり、ご飯も出ます。教養や芸を身に付ける為の稽古もやり甲斐がありました。

そして、たまに食べることのできた「金平糖」が大好きでした。(当時、金平糖はとても高価なお菓子でした)

ただ、その傍らで家に帰りたいと泣く幼女、愛しい人と引き裂かれ死を選ぶ女性、精神を病んでいく女性を見て、やるせない気持ちでいました。

また、尊厳を奪われ、無理に客をとらされた上、梅毒を染されて死んで行く遊女が数多くいました。

私は「何故、女ばかりがこんなにも不当な扱いを受け、全てを奪われなければならないのか?」と世の中を恨み、そして「簡単に奪われてたまるか、惨めに死んでたまるか!」と、悔しさをバネに中級花魁まで上り詰めました。

帰りたい家もない私は、この世界で生きると決めて禿(かむろ)や新造(しんぞう)を出来るだけ抱えて世話をしていたような気がします。

~この過去世を思い出した時、嫌な気持ちになるのに風俗で働く女性のTV番組や本を見てしまうこと、性被害に対して激しい怒りが湧くことの理由がわかりました。

ある女の子との約束

遊郭にいた時、私が世話をしていた禿(かむろ)の一人が「本当の姉妹になりたいな」と言ってくれました。

この子も何らかの理由で幼くして遊郭に売られてきた子ですが、この幼女が妹の過去世の姿です。

今世ではその約束の通り姉妹として生まれ、そしてお互いに

性的な心の傷や愛情不足という問題を乗り越えることを、今世の課題の一つとしています。

まとめ


妹の人生を振り返り、妹にそっくりな娘が私の元に生まれた意味を考えると、どうしても娘が妹の生まれ変わりのような気がしてなりませんでした。

それは娘が赤ちゃんの頃、私がスピリチュアルなお導きに気付くもっと以前から感じていたことです。

そして、サイキックリーダー(守護霊の通訳)となった私は「過去世リーディング」をキッカケに自分の過去世を思い出し、そこでも妹とのご縁があったことを知りました。

妹(そして娘)と私は、ソウルメイトの分類でいうと「ツインフレーム」に当たります。人生の目的や使命を支え合う「同志」の関係です。

明治時代、家族愛を知らずに性的搾取を受けながらも必死に生き抜いた私達は、昭和の人生では家族として生まれ、家族愛を学びならがそれぞれに性的な心の傷とも向き合ってきました。

私は今回一度の人生で両方の課題を学び終えることを計画し、妹は私の娘として立場を変えて生まれ変わり、二度の人生を通して課題を乗り越えることを計画したのでしょう。

生まれてくることにも、死ぬことにも意味があるのです。

生まれてくるタイミングも、死ぬタイミングも、自分の周囲の人と影響し合い、成長し合えるように全てが調和しています。

それが輪廻転生なのだということを、妹の人生が教えてくれました。

この記事を作りあげている11月24日、今日は妹の誕生日です。

特に意識したわけではなく、たまたまこの日にこの記事になりました。でも、人生に「たまたま」なんていう事はありませんね。

きっと、妹からこの記事を読んでくれている皆へのメッセージなのだと思います。

 

最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
過去世は自分の思考のクセや、何故だか理由が分からない趣向などと関連しており「なぜ自分はこうなのか?」の答えをくれます。
自身をより深く知ることで、芯が通った強い自分へと自己を強化することができます。
また、特定の相手との過去世での関係を知ることは、カルマを解消しより良い関係を築く礎になります。

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